- 視点シリーズ15
- ストレス・マネジメント入門
上智大学総合人間科学部心理学科教授 久田 満
1.ストレス・マネジメントとは
人間の心の健康を考える上での最重要キーワードの一つである「ストレス」という言葉は、今では日常会話用語として定着していますが、その正確な意味や効果的な対処法について理解している人は少ないのではないでしょうか。ストレス・マネジメントとは、心の健康を維持・増進することを目的として、1)ストレスとは何かを理解し、2)ストレスの効果的対処法を習得し、そして3)その対処法を習慣化することを意味します。
ところで、心の健康といっても、そもそも「心」とは何かを定義することは実はかなり困難であり、心理学者の中でも意見が分かれるところです。したがって、その「心」が健康であるということを分かりやすく表現するのは非常に難しいのですが、あえて単純化すれば、次のように説明することができると思います。即ち、心の持つ3つの働き(知・情・意)が理想に近い状態にあることだということです。知的に活発で、情緒が安定しており、仕事や勉学に意欲的であれば、その人の心は健康であると言えるでしょう。
2.ストレスとストレッサー
元々は物理学の用語であった「ストレス」という言葉を医学の世界に持ち込んだのは、カナダの生理学者、ハンス・セリエという人です。彼は、人間を含めた生体に対して外部からの刺激が負担として加わった時に、その生体に生じる機能的変化をストレスと呼びました。より厳密には「ストレス反応」と言った方が誤解が少ないでしょう。一方、その反応を引き起こす外部からの刺激は「ストレッサー」と呼んで、専門家の間ではストレスとは区別します。対処できないほどのストレッサーが人間を襲うと、病気に陥る全段階として様々なストレス(反応)が生じるのです。重度の疲労感、食欲不振、不眠、不安、抑鬱感、遅刻や無断欠勤、不登校、引きこもり、犯罪・非行などがストレス反応の例です。
では、人間の心の健康を脅かすストレッサーにはどんなものがあるのでしょうか。まず、高熱、騒音、放射性物質などの物理的刺激があります。次に、タバコ、覚醒剤、アスベスト、大気汚染などの化学的刺激が挙げられます。さらに、満員電車での通勤、仕事上のミス、結婚や離婚、出産や育児、失業、転居・転校、家族やペットとの死別などの日常生活上の出来事(ライフイベント)が社会的な刺激として注目されてきました。近年、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を引き起こすストレッサーとして、レイプ、虐待やいじめ、ドメスティックバイオレンス(DV)が深刻な社会問題として認知されつつあります。今回の大震災は、これらの物理的刺激、化学的刺激、日常生活上のライフイベント、さらにはトラウマ体験が一度に、広範囲にわたって、多くの人々を襲った超特大のストレッサーであったと言えるでしょう。
3.効果的な対処法
このような様々なストレッサーに対して人は、「ストレス解消法」と称して様々な方法を試みます。しかし、その方法には効果的ではないものや逆に健康を悪化させるものもあります。過度な飲酒が典型例です。アルコールは不快な気分を一時、忘れさせてくれますが、この方法に頼り過ぎるといずれはアルコール依存症という甚だ治療が困難な心の病になってしまい心身ともに破壊されてしまいます。したがって、「効果的な」対処法を身につける必要があるのです。
アクティベーション法と総称されるのは、スポーツで良い汗を流すことやカラオケで思う存分歌いまくることなどです。それと対照的なリラクセーション法と呼ばれるのは、静かな音楽を聴くこと、マッサージやアロマテラピー、温泉でのんびりすることなどです。不安や焦りを感じたら深呼吸を10回程度するだけで、その不快な気分を和らげる効果があります。呼吸法はもっとも手軽でお金もかからないリラクセーション法です。
さらに付け加えると、感情を一気に発散させるカタルシス法もお勧めです。お笑い番組を観てゲラゲラ笑う、映画やテレビドラマで号泣する、スポーツ観戦に出かけ声をからして応援することなども効果的な対処法と言えるでしょう。
4.人的資源の活用
もう一つ、重要な対処法として、自分の周囲の人々に相談するということも指摘しておきたいと思います。家族や親しい友人はもちろん、職場の上司や同僚、趣味の仲間、行きつけの居酒屋のマスター、さらには精神科医や心療内科医などの専門家も活用すべき資源です。とはいえ、他人に悩みを話すのには抵抗感があると思います。精神科を受診するにはある種の勇気が必要でしょう。そのような障害(バリアー)があることを承知のうえで専門家に相談することをお勧めしたいと思います。それでも抵抗がある人は、匿名でも相談できる「いのちの電話」を利用してみて欲しいと思います。どのような人的資源を活用するにしても、過度に期待しないことが重要です。何か一つでも「相談して良かった」と思えることがあれば、それで良しとしましょう。
以上のような様々な対処法を習慣化することによって、心の健康を守ること(予防)が可能となるのです。