- 視点シリーズ16
- 「孤立」「犠牲」と「絆」
福島県精神保福祉センター所長 畑 哲信
「孤 立」
心の健康や自殺対策において、「悩みを抱える人が相談できること」はとても大切なことです。しかし、現実には「相談できない/しないで我慢してしまっている人」が少なくありません。なぜでしょうか?
たとえば、職場でみんなが忙しくしているとき、みんなは疲れていてもお互いに迷惑がかからないようにと頑張って仕事をします。そんなときにストレスで疲れきってしまって、頑張りが効かなくなった(すなわち精神的な不調をきたした)としたら、それを周りの人に相談するというのはとても難しいことです。医学的には「休む」ことが必要な状態だとしても、みんなが協力し合っているときに「休む」ということは、一人だけみんなからはずれて、しかもみんなに迷惑をかける行動をするということになります。そんなことは、疲れて自信を失い、少しでも心の支えが欲しいときにできることではありません。実際、相談できたとしても、「もう少し頑張って」と言われてしまったり、「みんな頑張っているんだから・・」と叱られてしまったりすることも少なくないでしょう。こうして、精神的な不調とともに、「周りに合わせることが出来ず心理的に孤立してしまう」という二重の困難を抱えることになってしまいます。「孤立」というのは、身近に人がいないということだけではなく、心理的な「孤立」もあるのです。
「犠 牲」
このような状態に追い込まれた原因の一つは、もちろん精神的な不調にあります。しかし、それだけではありません。「みんなのために我慢する」という考え方――それはとても立派な考え方で「美徳」とされていることでもあります――も、不調を抱える方を追いつめる原因の一つになっていることに注意しなければなりません。少なくとも自殺予防という視点からは、何かのために何かが犠牲になるということは極力避けるべきことであり、むしろそれこそが自殺予防の本質なのです。 先ほどの職場の例で言うと、不調を抱えた人を犠牲にすることなく休ませるということが求められるわけです。しかし、一方で、そのために残って頑張っている人が犠牲になるというのもおかしな話で、それも極力避けなければなりません。そう考えると、不調を抱えた本人への支援とともに、場合によっては職場への支援も含めて考える必要があることがわかります。もしかすると、社会全体の労働環境のあり方にも関わってくる問題かもしれません。
「価値観」
私たちの行動や考え方というのは、私たちが培ってきた価値観によって大きく影響されています。自殺予防を根本的に進めるためには、「我慢」を美徳とするような価値観を見直し、変えることが必要です。誰が変えるのでしょうか? 誰か偉い人が変えるのでしょうか? テレビなどのメディアでしょうか?――もちろん、そうした役割も重要ですが、最終的には一人一人が考え、行動に示すことによってこそ培われていくものです。つまり、自殺予防は「困難を抱えている人を支援する」だけではなく、「誰かのために誰かが犠牲を強いられるという状況に甘んじていないか、自分の心の中を振り返ってみる」といったことも大事な要素です。これは、悩みを抱えている人やその周囲の人だけでなく、直接利害関係のない第三者、つまり私たちみんなにとっても大切なことです。
もちろん困難を抱える本人の役割も重要です。なぜならば、困難を抱える人が「我慢する」「犠牲になる」ということを選べば、その行動の一つ一つが世の中の不適切な価値観を後押しすることになります。ですから「我慢しない」ということが必要なのですが、それは難しいかもしれません。また、もし聞き入れてもらって休むことができたとしても「わがままを聞いてもらえた」という個人的な出来事に留まってしまいかねません。それよりももっとよいのは「支援を頼む・相談する」ということです。そのほうがより実現の可能性は高いというだけでなく、それ以上の利点があります。それは、「自分のことを自分一人で主張するよりも、自分以外の人が同じ主張をするほうがより信用してもらえるし、さらにはより世の中の価値観を変えていく力にもなる」ということです。 これは個人の話でしたが、震災と放射線被害に見舞われた福島県にとってもあてはまることです。福島県が魅力を取り戻していくためには、たとえば、作物の安全性について信頼が得られるように自分たちで努力するということは大切です。しかし、自分たちだけで安全性をPRしてもそれで十分な信頼が得られるものではありません。どこか疑いの目が残ってしまうものです。むしろ、県外の人たち――消費者であったり、もしかすると同じ作物を生産している他県の競争相手かもしれません――の力が不可欠です。「価値観」は人々の中で作られていくものであり、それは「自分たちの努力」だけでは得られないものなのです。
「絆」
震災後、社会全体に人と人とのつながりが求められ、今年の漢字にも「絆」が選ばれました。みんなで協調しようとする気持ちが高まったわけですが、ここには、先ほどの職場と同じ一面が含まれていることに注意が必要です。流れに乗って絆が深まった人にとっては望ましいことですが、身近な人を亡くした人や離れ離れになってしまった人、あるいは、なんらかの事情で「絆」を享受できない人もいます。特に放射線被害が大きい福島県では、他県と比べてそうしたリスクが大きいかもしれません。
被災者支援において「孤立を防ぐ」ということはとても大切なことですが、それは特定の集団に参加させる、仲間入りさせる、といったことを意味するものではありません。一人一人の「我慢」「犠牲」に気づき、オーダーメイドで支援できる柔軟さが必要で、そこには個々の被災者が置かれている状況を第三者の立場から代弁するという役割も含まれるでしょう。様々な立場の人を阻害しない包容力のある「絆」こそが本当の「絆」だと思うのです。